前期の振り返りと夏休みのこと
今回は前期最後のゼミだった。まずは授業全体のまとめを。
HCD(人間中心統計)
これはデザイナーの頭の中や、行動パターンを表している。前期の活動の「新しい絆創膏を考える」がこれに当てはまる。行動観察をし、ユーザーがどうしたがっているかを考え、デザインの解決策を考える。この時良くないのは最初から完璧なものを作ろうと議論で時間をかけること。とにかく試してテストをし、ぐるぐると同じ作業を繰り返す。その中で徐々に良い作品が生まれるという。
ダブルダイヤモンド
ここではモードの切り替えについて学んだ。どんどん案を出す発散とそれらをまとめる収束。特に発散が重要だと感じた。椅子に座ってダラダラとこうじゃないかと話し合うだけじゃ限界がある。気になったのなら実際に行動に移したり、探したりして出すアイデアの質と量を高めていく。よく企業等で"学生らしさ"を求められるが、これはよく分からん行動力で見たことのないような情報を持ってくることである。学生のうちに積極的に発散をしていくことがいかに重要かがわかる。
上2つの考えを掛け合わせて、UXデザインの基本的な軸ができるのだ。
ここで少しNetflixのお話。youtubeとの違いとしてNetflixは年齢で仕分けしていないという点が挙げられた。つまりその人の好みに応じて変化をしているのだ。私はAmazonプライムやFOD、TverやGYAOなど様々な動画配信サービスを使っているがやはりNetflixが断然いいなと感じる。好みに合った作品を毎日のように更新してくれるからだ。妹のページはホラー映画だらけだし、お父さんのページは邦画ばかりである。同じアプリでも人によってここまでも表示される作品が違うのかと驚いた。私達が惹かれる理由は、人間重視のサービスにあるのだと知った。
W型問題解決モデル
問いを多く持っている人は知識量が違うという。そしてその問いをどう経験に繋げるか。よく頭でっかちだねと言われる人は思考レベルで止まっているという。私も思考量に対しての経験値が圧倒的に少ないと思う。頭の中に色々と構想があるが、形にする機会が少ない。悩んでも解決に至らないのは経験を選んでいるからだと思った。迷っている暇があれば色んな経験を積み重ねて、視野を広げなければ。迷ったらGoなのだ!
コルブの経験学習モデル
ここでは振り返り≠反省ということを学んだ。~すればよかったなぁ、ここいけなかったなぁが反省。次上手くいくためにはどうすれば良いのかまで突き詰めるのが振り返り。である。ここで思ったのが振り返りを通して失敗した経験を良い教訓に繋げていくのはもちろんだが、逆に成功した部分にも目を向けて、自分の中で確実なものにしていきたいということ。成長できるかどうかは振り返りの仕方次第だと思うと、適当にはできない。
そしてここで真面目と真剣の違いについて問われた。私は違いについて上手く説明するのが難しくて、なんとなく真剣の方が一歩先をいっているような感じだと思った。実際には
真面目→決められた範囲内をこなすこと
真剣→+より良い結果に導くためにすること
だった。中には受動的と能動的だと言っている人もいたりと、みんな短時間で簡潔に説明できていて凄い。私は今までそのなんとなくのイメージを、声として、言葉として発してこなかったから、上手く説明ができないのかなと思った。あとはやっぱり知識量だなぁ。
人材要件概念図
テクニカルスキルとは、役に立つと思われる資格などの専門的なスキルだ。商学部の学生はよく資格を取ることに固執しがちだという。だが今求められているスキルは下2つのポータブルスキルやスタンス。哲学的な思考やコミュニケーション能力などを持つことでどんな場所であっても柔軟に対応できる。
とこんな感じで、、、
授業の最後に前期ゼミの振り返りをした。私はゼミに入ってからの約2ヵ月でどう成長しただろうかと考えた。
1つは明らかにメモを取る量が増えたなと。あと映画や本を見てすぐ感想を書くようになった。全体的にやりっぱなしにすることが減ったのだ。また日常の中で問いを立てることが増え、考えることに慣れてきた。
そして課題も見つかった。私はブログを書く時に勝手に解決したつもりになって満足している。無理に解決法を導き出さず、少しずつ見つけていってもいいのかなと。またこれからどうするのかという目標があまりにも抽象的で実生活に生かせていなかった。だからブログではすぐに実践できるような明確な目標を書くことが必要だと思った。
そこで夏休みの具体的な目標を書いていくことにした。
☆様々なジャンルの本を読む!
今は詩集や短歌にハマっているけれど、そろそろ歴史物など読んだことのないジャンルも読んで知識を蓄えよう。
☆フォトコンテストに応募する!
夏は作品撮りをして、そこ界隈の友達も作って客観的な評価を受ける。評価を受けることで、作品の幅を広げると同時に自分の色を確立したい。
☆とにかく色んな空間に行く!
個展やイベントなど、とにかく色んな空間へ行ってそこで人と繋がって、自分の将来のことを考えていきたい。
全部で3つ。明確な目標を書き、公表することで意識が高まってきた。あとは実行するのみだ。
今年の夏休み、バイト漬けの毎日ではなく、常にアクションを起こして有意義な時間を過ごすぞ。
コンセンサスゲーム
まずは前回の行動観察についてのおさらい。
例えば企業で新しい商品を出すとなった時、行動観察を活用する。その時、1つのデータを使うだけでは不十分である。観察したものを客観的な数値として表すためにアンケートを行い、違和感を感じたら実際にインタビューをする。
このように複眼的思考を使い、いくつかの点から根拠を作っていくことでより説得力のある案に繋げていく方法をトライアンギュレーション(三点測量)という。
ユーザー側の視点になるが、化粧品など売上第1位という数値としての結果だけでなく、実際に使用している映像などを用いて効果を立証しているものに安心感を感じるし、買いたい!と思う。普段から人は、様々な視点を寄せ集めた結果からできた商品を支持しているなと感じる。
そして今日はコンセンサスゲームをした。
テーマは「宇宙からの帰還」である。設定は、私は宇宙飛行士であり、乗っていた宇宙船が月に不時着。生き残るためには300km離れた宇宙ステーションにいかなければならない…というもの。
宇宙船の中には以下のものがあり、この中で1~15まで優先順位をつけていく。
a. マッチの入った箱
b. 宇宙食
c. ナイロンロープ50m
d. パラシュート用絹布
e. ポータブル暖房機
f. 45口経ピストル
g. 脱水ペットミルクケース
h. 45kg酸素タンク2個
i. 月の星座用天体地図
j. 救命いかだ
k. 磁気羅針板
l. 20ℓの水
m. シグナル用照明弾
n. 注射器入り救急箱
o. 太陽電池のFM送受信機
まずは自分で順位を決め、今度は3人グループで話し合いながらグループの優先順位を決めていく。そして最後にNASAの解答と個人、グループで考えた解答を比較し誤差を算出する。総数が小さければ小さいほど生き残れる可能性が高いということだ。
結果は……(他2人名前伏せますね)
私→31
A→57
B→42
グループ→32
どこのグループも個人→グループで総数が小さくなり生存率が上がっていた。しかしあれ、私だけ死に近づいてる…?
先生の話を聞きながらその理由がよく分かった。グループでディスカッションをする時の心構えとして、合意する際自分の考えを妥協してはいけないという。つまり合意≠妥協の関係でなければならない。私は他の人の意見を聞く度、なんだか自分の考えが間違っているように思えて1番大切な自分の考えを伝えるということができてなかった。だからこのような結果になったのだと思う。
一方で他のグループの話を聞くと、みんな意見が違ったからよかった!とか、とりあえず自分の意見を全部話した!など。みんな自分の意見を否定せず、正解に近づけるために生かしていた。そこが自分との大きな違いだなと思った。
そしてもう1つ問題なのが、時間内に決めきれなかったということ。理由はたくさんあると思うが1つは、分からないことを調べたり質問したりしなかったから。こんなモノじゃない?と曖昧な想像で話を進めていた。物の使い方が分かっていればもっとスムーズに話し合えたはずだ。そして2つ目は、すでに終わった議論に対して何度も議論し直してしまっていたこと。1度意見が一致したのに「やっぱりここは…」と何度も振り返ってしまっていた。そこは割り切って次に進むことでタイムマネジメントを上達させていかなければならないと思った。
今回の授業は自分の良くない部分丸出しだったなぁ。振り返れば今まで、縮こまって妥協してばかりだった気がする。でも今日、思い知れてよかった。
妥協せず考えを伝えるということは、自分以上にグループのためになると知れたから、思い込みで自分の意見を否定するのはもう辞めよう。そして誰かの決めた正解の基準に惑わされず、しっかり自分の意見を持ち主張していこう。そう思えた。
よし、今日から私、変わっていくぞ!
新しい絆創膏を考える
今日のゼミでは行動観察を行った。
今回の行動観察は質的調査(定性調査×潜在)により数値では示せないユーザーの本心やニーズを探り、商品の改善・新たなデザインに繋げるというものだ。
今日はこの行動観察を用いて、新しい絆創膏を考える。
利き手が使えないので反対の手を使い、利き手の腕に絆創膏を貼るという一連の流れを観察し
①作業ステップ
②観察事象
③発話
の3つをひたすら書き留めていく作業を行った。
〈私の記録〉
動画も使ったが、記録できたのは8個。デザイナーの方となると20個ほど書けるそうだ。私は大まかな動作を捉えるだけで、ちょっとした仕草を見逃してしまっている。同じグループの子は、"(貼る時に邪魔で)髪の毛をかきあげる"と記録していた。そんな少しの無意識も見逃さないことが行動観察をする上で重要になってくる。関係のないようで、全ての動作が関係あるのだと思った。
発話について少し。私もモニターをやったのだがこれが本当に難しい。ただでさえ普段無口だというのに心の中で感じていることを何でも声に出すなんて、、、しかし発話は問題の根底を引き出す手段であるからとにかく喋ってもらわないといけない。観察される側も重要になってくるのか。
〈グループのまとめ〉
3つの記録に加え感情も曲線で可視化し、分析をしていった。
今日のテーマが行動観察ということで、グループ内4人の行動も意識して見ていたが、それぞれ違う動きをしていて面白い。ひたすらポストイットを貼り続ける人、腕を組み無言で見つめてる人、などなど。あらかじめ決めた訳では無いのにグループ内でなんとなくそれぞれの役割が出来上がっていた。その人の持ってる素質からくる行動かもしれないが、最初に行動を始めた人に合わせて、自分ができることを見つけていってるような感じがする。グループとなるとみな空気を読みながら行動をしている。あぁこれが協調性なのかな?と思った。また他人の行動を観察しながら参加することで、状況を俯瞰的に見ることができ、自分の行動に対する反省点も見つかった。
ここで本題に戻る。上の図から新しい絆創膏を考える。私達が考えた案は"トースターのように押したら本体が出てくる仕組みのもの"である。
この案に至った経緯は、まず感情曲線の下がっている部分に焦点を置き、共通しているのが剥がすという作業であったことから剥がさなくて良い絆創膏という発想に繋げた。
ここで重要だと言われたのは、最悪なポイントだけを見て考えるのではなく、時間の流れつまり時間幅を意識して考えること。となると私達の案は最悪なポイントに重点を置きすぎている。最悪点に達する前から後までの過程の中に新しいものを作り出すヒントが隠れていると知った上で、自分なりに新しい絆創膏を考えてみる。
私が考えたのが"押してスライド、傷部に直接貼るだけ絆創膏"である。箱から取り出し剥がすまでの全ての工程を省き、箱自体を貼るための道具にした。
絆創膏を使ってみて感じたことは、これゴミがたくさん出て環境に悪いなぁということ。しかしそれはその場で感じたものではなく、客観的に見た上での感想であり、ユーザーの本心やニーズに繋がるものかというと違うと思った。思考発話を基にユーザーに寄り添ったものを第一に考えた上で、環境とのバランスも考えながら1つのものを作るべきだなと。
そこで考慮した要素は感情曲線が1番上がった貼るという行為。ここはユーザーの満足度に繋がっているから大切にしなければならないと思った。貼ることで安心感を覚える人も少なくはないと思う。だったら一瞬頭によぎったスプレータイプではダメだと思った。現在の形を残しつつより使いやすいものはできないかと考えた結果がこの案である。
作業の最悪点だけでなく、最良点にも目を向けられたことは良かったかなと思う。しかし時間幅を考えられたかというと"?"となる。そもそも時間の流れから考えるとはどういうことなのかまだいまいち理解できていない。
これからは授業だけでなく常日頃から観察することを癖づけ、結果からモノやことの改善に繋げる思考力を身につけていきたい。経験を積むことで時間幅を意識して考えるということをしっかりと理解し、質の良い行動観察ができるようにしよう。
帰り、絆創膏をほとんど使ったことがないので欲しくて先生から1枚貰った。帰ってまじまじと見たり、性質を調べたりしたけどいや、絆創膏ってすごいなぁ!!!
普段当たり前のように使ってるモノも、デザイナーさんが考え抜いて作った作品だと考えると、なんだか日常が楽しくなってきた。
最悪な旅を考える
今回のゼミでは最悪な旅を考えた。そして、ユーザーの考えや行動の中からどのようなビジネスが作れるかという、リフレーミングの作業を行った。
リフレーミングというのは、物事に対する過剰な捉え方の枠組み(frame)を見直して新たな枠組みに更新する事である。
リフレーミングをする際には、デザイナー的な考え、つまり"デザイン思考"が必要であり、起こった物事に対してそれをいい方向に改善しようと足し算するのではなく、発想の転換が求められる。色んなものに触れ体験の幅を広げることで、多くの負の状況から全くの新しい選択肢を生み出すことができるというのだ。
これは他のグループが考えた最悪な旅。物語を考える上で5W1Hが大事だそう。
そして私達のグループが考えたリフレーミング。
私達はまず、上の文章からユーザー(男)の特徴を掴もうとした。「寝坊、靴底がとれてしまうほど靴がボロボロ」という点からユーザーのダメ男っぷり見て取れる。そこからこの負の連鎖は母親が申し込んだ、更正サービスであるということに繋げた。
事実は変えず、物語の全体、そしてユーザーの特徴を理解して考えることができたのはよかったと思う。反省点としては、不幸を仕向けることによって何に繋がるのかまで考えられなかったこと。それと息子に囚われすぎているということだ。先生からお金持ちのお坊っちゃんで考えると、もっと具体的だし利益も出るのではないか、というアドバイスを貰った。なるほど。サービスに合わせて、ターゲットを絞ることでより大きな利益を生み出すことに繋がるのか。そこまで考えることができたらいいな。
さて、今回の課題はもう一度自分で最悪な旅を考えてくることだ。授業の中で「うわぁ…」とため息が出るほど最悪の旅だと思わなかったのはなぜだろう。最悪な要素を詰め込みすぎても逆効果だと感じたので、なるべく自分の身近で起こり得そうなリアルな最悪を想像してみる。
〈最悪な旅〉
私はここ数ヶ月友達との約束を全て断り一生懸命お金を貯めてきた。目標の金額が貯まりずっと欲しかったカメラを買う。そのカメラを片手に沖縄へ向かった。しかし激しい雨で、ホテルから1歩も出られない。結局1週間台風が続き何もすることなく帰ることになる。最後にせっかくなので人目見ようと海に来たのだが、手を滑らせカメラや貴重品諸々海に落としてしまう…
〈リフレーミング〉
"旅先で異常気象を撮りに行くプログラム"
私はこの旅の天候に目を向けてみた。普段からフォトコンテストでも異常気象部門があってもいいんじゃないのかなと思っていたので、それがある前提で、激しい気象を収められる時期やスポット、プランを作成し提案する。ユーザーはそれをもとに、より高い報酬を目指して旅をするというのも面白いのではないかなと感じた。旅先ではどうしても良い天候を願いがちだが、最悪な天候でもこういったプログラムを作れば、楽しみの幅が広がるんじゃないかなという考えから思いついたのだが、どうだろう。
日常からアンテナをはり、先入観をとっぱらって、視野を広げることで良いリフレーミングを考えられるようになる。
私はまだ、自分の考えたリフレーミングに納得してない、というか良い!とは思えてない。これから自分の中の"デザイン思考"を確立して深めていくことで、良いと思えるアイディアを生み出していきたいな。
テクノロジー時代の大人の学び @福岡市科学館
昨日、テンジン大学主催の「テクノロジー時代の大人の学び~科学館・博物館・美術館の館長に聞いてみよう~」に参加した。
幼い頃、科学館に連れていってもらうことが楽しみの1つであった。そして最近は美術館という空間の面白さも知り始めた。私はどうしてそのような空間に魅力を感じるのか知りたいと思ったのが今回参加したきっかけである。
場所は福岡市科学館。会場に入り席に座ってすぐ、グループ内で自己紹介が始まった。右斜め前は年の離れた女性の方で、前に座っていた方は飛田ゼミの先輩だった。そして名前を聞いて気づいたのだが、なんと隣は同じゼミの子だった。
会話の中で特に面白いと思ったのが、右斜め前の女性の方の疑問だ。
目の前には大きな紙があった。「発言だけでは消えていく、言葉を可視化することが重要なのだ」と。この時右斜め前の女性の方が「これだけテクノロジーは進化してる言ってるけど、こうやって自分の手で書き残すことが1番って思うのは何でだろうね」と仰った。
確かに今の時代、メモを取るにも様々な方法があるはずだ。なのに私はペンを持って、自らの手でメモを残すことにこだわっている。なんでだろう。私も自らでなくても誰か人間の手で作ったものが1番だと思うし愛情を感じる。デジタルの進化を考える時、人はどうしてもアナログの重要性を無視できない。
それでも人とモノの間を繋げるものとしてデジタルが必要であるという。その理由を、博物館・美術館・科学館、3つ館の館長による対談で知れたような気がする。
ここではその答えだと感じた部分を館長の言葉を借りて考えていきたいと思う。
人は"なぜそのようなモノができたか"というプロセスに関心を持っているそう。話の中でアーカイブという言葉がしばしば出てきた。情報をアーカイブすることによって、再検証し、そこに意味を見出し、関係づけていく。それらをどうやって残していくか考えた時にデジタルが必要になってくるのだという。またそうやってただ意味付けをするだけではなく、その一歩先を考えなければいけないそう。そのためには私達利用者の視点が必要であって、利用者とともに価値を創造していかなければならない、と。
話を聞いていて科学館、美術館、博物館は与える側ではなくなってきているということがわかった。その作品、もしくは空間を利用者がどう受け取り、利用するのかが問題なのだ。そして、受け取るアーカイブの量、伝わりやすさをコントロールしているのがテクノロジーであると感じた。1つの空間にテクノロジーが加わることで、より説得力を感じ、私達の想像の幅も広がっていく。
私はただ与えられるだけではなく、"人×テクノロジー×モノ"の関係性によって、その空間と価値を共創できることに魅力を感じていたのだと思った。
テンジン大学の先生による議事録
それぞれの特徴を箇条書きで書いていたので気づかなかったが、このように図解を使うことで共通点が見つかる。話を聴きながら上手く構造化する力が不足していると感じたので、もっとこういう場に参加して経験を積まなければ、と思った。
テンジン大学の講義に参加したのは初めてだったが、今まで存在を知らなかった自分にだいぶ後悔した。それほど面白かった。学ぶことってこんなに楽しかったんだ。そう思った。
しかしここまで時間がかかってしまった。これからは日常から考えることに慣れて、質に囚われずスピードを意識して書けるようにしたい。
映画【沈没家族】"家族のカタチ"って何だろう?
いい映画を観た帰りはいつも泣きそうになる。
幸せだという感情が身体の内から溢れでるからだ。この余韻が冷めないうちに、思いを書き留めたいと思った。
今回、加納土監督の映画「沈没家族」の舞台挨拶・サイン会に参加してきた。
〈予告編〉https://youtu.be/6CIUL_msLs0
〈あらすじ〉
時はバブル経済崩壊後の1995年。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が起き、世相がドンドンと暗くなる中、東京は東中野の街の片隅で、とある試みが始まりました。シングルマザーの加納穂子が始めた共同保育「沈没家族」です。ここに集まった保育人たちが一緒に子どもたちの面倒を見ながら共同生活をしていました。そこで育ったボク(監督:加納土)が「ウチってちょっとヘンじゃないかな?」とようやく気づいたのは9歳の頃。やがて大学生になってあらためて思ったのです。 ボクが育った「沈没家族」とは何だったのか、“家族”とは何なのかと。当時の保育人たちや一緒に生活した人たちを辿りつつ、母の想い、そして不在だった父の姿を追いかけて、“家族のカタチ”を見つめなおしてゆきます。(公式より)
はぁ……………とてもいい、とてもよかったのだ。
ドキュメンタリー映画だが、ホームビデオを観せられているようで、温かさに包まれて終始心地よかった。これまで知らない誰かの優しさや、本音に触れて泣きそうになったことがあっただろうか。
ここからはそれぞれの場面で感じたこと、そして家族のカタチについて考えたことを書いてみる。
~母の強さ~
母、加納穂子さん(以下、穂子さん)が沈没家族を始めたきっかけは、何か新しい取り組みをしたかったからではなく、ただ生きていくために必要だったからだという。生きていくために、町中にチラシを配り助けを求めた。穂子さんにはできないことはできない!と言える強さがある。他人に弱さを見せることは容易ではない。シングルマザーであることに縛られ1人で無理する必要はない、ずっと傍に居てあげることが母親としての愛情の裏付けではないということをこの映画で証明してくれている。そんな穂子さんの魅力に誘われて人々は集まり、沈没家族はできた。穂子さんあっての沈没家族だなとつくづく思った。
~個性的な保育人~
穂子さんの呼びかけで集まった保育人はユニークな人ばかりだった。しかし誰1人として、加納土監督(以下、土くん)のことを息子だと思って接しておらず、また家族と意識しながら生活をしていなかった。なぜこんなにも多くの保育人(それも独身男性や結婚願望がない人)が集まったのか不思議に思ったのだが、みな居場所を求めていたのだと感じた。穂子さんと同じように生きていくために、沈没ハウスに来たのだ。血の繋がってない、家族のようで家族ではない存在。沈没家族は、穂子さんと土くんのためだけでなく、多くの人を救う居場所になっていたのだと保育人と土くんとの会話の中で気づいた。
~父の不器用さと本音~
土くんが1歳の頃には離婚をし、実の父である山村克嘉さん(以下、山くん)とは週一で会っていた。土くんにとって山くんは、特に仲の良いおじさんでしかなかったらしい。その事にたいして葛藤し、映画の中でも激しく衝突している。私たち鑑賞者の多くが山くんの葛藤に心を揺さぶられたのではないだろうか。保育人のように子育てに参加できないもどかしさを上手く伝えられない不器用な山くん。山くんは土くんと本当の家族になりたかったんだと思う。山くんの本音は写真を通して痛いほど伝わってきた。2人の写真で埋めつくされたアルバムには笑顔こそなかったが、そこには確かに愛があった。
不器用だからこそまっすぐと伝わってくる想いがある。私は生まれて初めて写真を見て涙を零した。
~"家族のカタチ"を考える~
沈没家族に対して、「普通じゃない環境で育てられて可哀想」というコメントが寄せられたそうだが、そもそもあなたのいう普通って何なのだろう。血が繋がっていることが普通?普通の基準はいったい誰が決めているのだろう。と、様々な疑問が生まれてくるが、これが正しいという価値観を押し付け、普通の基準を決めつけているのは私達大人なのではないのかと思う。まだ幼い頃の土はこの家族のカタチを純粋に楽しんでいた。どんなカタチであっても子供が安心していられる場所があるっていいなと思う。自分が家族だと思ったら、そこは家族でいいのだ。そもそも家族のカタチを明確化する必要はないのではないか。正解なんてものはない。家族というものは概念にすぎないのだから、しっかり自分の価値観で"家族のカタチ"を信じていきたい、そう思った。
上映後、舞台挨拶があった。
加納監督はもう100回以上舞台挨拶をしているという。すごい。ノンストップでこの作品への愛を語っていた。
その中で印象的だったのが、卒業制作だったものを劇場版に編集していく上で自身の考え方に変化があったということだ。特に父である山くんとのシーン。卒業制作版では物語の大きな変化の素材として、山くんとの喧嘩のシーンで、決定的に分かり合えないという感じで終わっていたという。だが編集をしていく上で、山くんの切なる想いに気づいていった。言葉のやり取りに終始固執して考えていたけど、もがきながら撮った写真を見て、山くんという存在に対しての見方が変わったという。
"たまたま僕を生んでくれてありがとう"
"たまたま"この言葉を監督は何度も使っていた。たまたま出会って、たまたまできた共同体が家族であるだけなのだ。人生はたまたまの連続である。今日はたまたま、こんな素敵な映画に出逢えてよかったと心から思った。
気持ちが先行するあまり、自己満になってないだろうか。私は、この映画をもっと多くの人に観てもらいたい!!よさを知ってもらいたい!!!そんな想いでブログを書いた。このブログがきっかけで1人でも興味を持ってくれる人がいたら嬉しいなぁ。
デザインについて考える
森田ゼミ第1回目の授業。
今回は"ビジネス変化とサービスデザイン(UXデザイン)"について学んだ。
まずは自分が理解できた範囲で要点をまとめてみる。
現代社会の3つの大きな変化について
①デジタルトランスフォーメーション
②モノからサービスへ
①デジタルトランスフォーメーション
データの蓄積×AIにより人々の暮らしを豊かにするというもの。
〈具体例〉
Uber→一般のドライバーが空いた時間を利用してタクシーのようなサービスを行うもの。
ドライバーと客が互いを評価し合いマッチング。評価が高いもの同士を引き合せる。これがAIの仕事である。利用する上で必然的にデータ保有者が優位になってくる。
②モノからサービスへ
現在、人とモノが一緒に価値を創造する、“価値共創”という視点からマーケティングを行う考え方が広まってきている(S-Dロジック)。価値は状況によって変わるもの。1つのサービスでありモノとして見てはいけない。最終的な価値はユーザーが作り出しているのだから、もちろんユーザーによってサービスが変わってくるのである。
〈具体例〉
水はどういうサービスか考える。
喉を潤すモノ
と考える人がいれば
火を消すためのモノ
と考える人もいる。
このように1つのモノで多様なサービスが生まれる。つまりモノはサービスの構成要素の1つに過ぎないということだ。
「観察」と「インタビュー」があって初めてそこにどういう価値が生まれているのか分かる。この過程を通して、モノを含むサービス全体が新たな価値を生み出しているのだ。そして、このサービスを経験した結果として得られるのが UXデザイン である。
「金融(Financial)」と「技術(Technology)」を組み合わせた、主にスマホを使った金融サービスのこと。
〈具体例〉
メルペイ→メルカリの決済サービス。スマホアプリ内で売上金やポイントの管理ができる。
e-pallet→カーシェアリングサービス。これは動画がわかり易かったので、貼っておく。https://youtu.be/orqyAtbknKA
顧客の情報やデータをとり、AIが学習して、IoTで分析。そしてより良いビジネスとサービスを創りあげていく。その鍵を握っているのが、フィンテックなのだ。
さて、ここで本題。UXデザインとは何なのか。
簡潔に言うと、ユーザーにどのような体験をしてもらうのか計画(デザイン)することであり、ここには必ず「観察」と「インタビュー」が要るということが分かった。
ざっとまとめてみたが、難しいなぁ。最後に今回分からなくなってしまったことを挙げてみる。
それはモノとサービスの概念だ。
今までモノは形あるもので、サービスは顧客に対してする行為だと思っていた。それがどうやら違うようだ。そう解釈してしまうと上手く噛み合わない。デザインを考える上でこの2つの言葉を、私はどう解釈すればよいのか分からなくなってしまったのだ。
1つ1つを理解しようとするとまた新たに1つの疑問が生まれ、そもそもデザインとは何なのか、と振り出しに戻ってしまう。今日一日その永遠のループを繰り返している。この中で自分なりの答えを導き出せないのは圧倒的に知識量が少ないからだと感じた。
物事を考える上で重要な、whyからwhat’sへの視点の移行。今日の授業では無意識にそれをやっていた。というか流れをつくってもらっていた。先んじて問いを立てることの重要性を知ると同時に、難しさも学んだ。
意識的にその流れを作れるようになることが今後の課題の1つであると感じた。