テクノロジー時代の大人の学び @福岡市科学館

 

昨日、テンジン大学主催の「テクノロジー時代の大人の学び~科学館・博物館・美術館の館長に聞いてみよう~」に参加した。

 

幼い頃、科学館に連れていってもらうことが楽しみの1つであった。そして最近は美術館という空間の面白さも知り始めた。私はどうしてそのような空間に魅力を感じるのか知りたいと思ったのが今回参加したきっかけである。

 

場所は福岡市科学館。会場に入り席に座ってすぐ、グループ内で自己紹介が始まった。右斜め前は年の離れた女性の方で、前に座っていた方は飛田ゼミの先輩だった。そして名前を聞いて気づいたのだが、なんと隣は同じゼミの子だった。

 

会話の中で特に面白いと思ったのが、右斜め前の女性の方の疑問だ。

 

目の前には大きな紙があった。「発言だけでは消えていく、言葉を可視化することが重要なのだ」と。この時右斜め前の女性の方が「これだけテクノロジーは進化してる言ってるけど、こうやって自分の手で書き残すことが1番って思うのは何でだろうね」と仰った。

確かに今の時代、メモを取るにも様々な方法があるはずだ。なのに私はペンを持って、自らの手でメモを残すことにこだわっている。なんでだろう。私も自らでなくても誰か人間の手で作ったものが1番だと思うし愛情を感じる。デジタルの進化を考える時、人はどうしてもアナログの重要性を無視できない。

 

それでも人とモノの間を繋げるものとしてデジタルが必要であるという。その理由を、博物館・美術館・科学館、3つ館の館長による対談で知れたような気がする。

 

ここではその答えだと感じた部分を館長の言葉を借りて考えていきたいと思う。

 

人は"なぜそのようなモノができたか"というプロセスに関心を持っているそう。話の中でアーカイブという言葉がしばしば出てきた。情報をアーカイブすることによって、再検証し、そこに意味を見出し、関係づけていく。それらをどうやって残していくか考えた時にデジタルが必要になってくるのだという。またそうやってただ意味付けをするだけではなく、その一歩先を考えなければいけないそう。そのためには私達利用者の視点が必要であって、利用者とともに価値を創造していかなければならない、と。

 

話を聞いていて科学館、美術館、博物館は与える側ではなくなってきているということがわかった。その作品、もしくは空間を利用者がどう受け取り、利用するのかが問題なのだ。そして、受け取るアーカイブの量、伝わりやすさをコントロールしているのがテクノロジーであると感じた。1つの空間にテクノロジーが加わることで、より説得力を感じ、私達の想像の幅も広がっていく。

 

私はただ与えられるだけではなく、"人×テクノロジー×モノ"の関係性によって、その空間と価値を共創できることに魅力を感じていたのだと思った。

 

テンジン大学の先生による議事録

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それぞれの特徴を箇条書きで書いていたので気づかなかったが、このように図解を使うことで共通点が見つかる。話を聴きながら上手く構造化する力が不足していると感じたので、もっとこういう場に参加して経験を積まなければ、と思った。

 

 

テンジン大学の講義に参加したのは初めてだったが、今まで存在を知らなかった自分にだいぶ後悔した。それほど面白かった。学ぶことってこんなに楽しかったんだ。そう思った。

 

しかしここまで時間がかかってしまった。これからは日常から考えることに慣れて、質に囚われずスピードを意識して書けるようにしたい。