暇と退屈

 

 

今回のゼミでは暇と退屈について考えた。

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私はこの質問をされた時、別に今暇でも退屈でもないなぁと思った。だから③を選ぼうとした。

 

いやしかしまてよ、暇じゃないといったらなんだか嘘になりそうだなと思った。

 

というのもゼミの前日、友達から

「明日の夜暇ー?」

ときてて

「暇だよ~」

と答えていた自分がいたからだ。私、暇なんじゃん。

 

映画でも観てるその時は暇とか退屈かとか一切考えたことはないけれど、今考えてみると暇だからできていたことなのかなと思った。だから最終的に②を選んだ。

 

その後②を選んだ人達で集まって話し合った。他の班からは②の意味がわからないと言われているようだったが、私達は意味がわからないことがわからなかった。③は常に忙しくて切羽詰まってそうだね、とか話した。その後、他のグループの子と混合で話し合ったのだが、意味がわからない理由がはっきりした気がした。どうやらグループごとに、または人ごとに暇と退屈の解釈が違ったようだ。

 

②の人

暇→時間があるかどうか

退屈→気持ちの問題(楽しいかどうか)

 

③、④の人

暇→やらないといけないことがあるかどうか

退屈→気持ちの問題(〃)

 

退屈に対しての解釈はだいたい同じようだったが、暇の解釈が違った。そこで先生から「暇とは何か」という課題を出されたのだ。

 

 

書ききれるだろうか…とりあえず思ったことを書いていこうと思う。

 

まず私は暇がすごく好きだ。暇は楽しいこと、自分のやりたいことができる時間だと思っていて、課題や仕事などやらなきゃいけないことの間にできるものだと思っている。課題に追われてる時っていうのは、誰かに拘束されてる時間だからそこに暇は関係ないと思うのだ。私は課題と課題の間、つまりやるべきこととやるべきことの間に生まれる時間のことを暇と言うんじゃないかと考える。

 

最近拘束された時間が嫌で仕方なくて、息苦しいから暇という時間を勝手に作っちゃってる感じがある。何も暇を作ろう!と思って作っている訳では無い。だけど自分のやりたいことができる時間(暇)がないと、その1日を好きになれる気がしないから私はその間が狭くてもなんとかこじ開けている。そんな気がする。

 

逆に暇ではないとはどういうことだろうか。やるべきことに追われて一息つく時間もないということ?しかし大抵の人は時間を意識しすぎて頭が次のやるべきことに支配されて暇を作り出そうと思っても作り出せていない、もしくは暇があってもなかったことにしてしまってる状態にあるのだと思う。円グラフのスケジュールで考えると、1日のうちの大半がやるべきことだと、その間にわずかに時間があったとしても、ほんの小さなものに見えてしまうのかと思った。たとえ間の割合が同じ2人でも、1日のスケジュールをどう見るかで暇であったかなかったか、主張が変わるのかなぁ。

 

結果、暇の有無はその人の時間に対する意識、捉え方で決まるのかなと思った。私は時間を意識しすぎた時に暇でなくなってしまうような気がする。間の時間がないように思えてしまう。時間に対して無意識だったからこそ、暇がより大きなものとして見えた=暇であるという答えに至ったのかなとも思う。

 

調べると暇は全く何もすることがない状態であるとも書いてあるが、間にあるわずかな時間でも暇というなら、それをどう使おうが自由だし自分次第である。その時間の使い方が退屈かどうかに大きく影響してくるのだと思う。だったら私は暇を否定的に捉えないで、これからも暇を作りたいし、楽しみたいと思った。

 

 

と、ここまで、、、なんだか途中から自分の中で暇「で」あるが暇「が」あるに変わったような……意見が食い違ってた理由の1つがこれであるような気もした。一文字違うだけで意味も変わってくるから難しい。

 

もっとみんなの意見も取り入れて色んな視点から考えられたらよかったなぁ。でもそれなりに暇と真剣に向き合えたはず!考えること、もっと楽しみたいなぁ